泉鏡花『龍潭譚』現代語訳⑨ふるさと

泉鏡花神隠し譚、『龍潭譚(りゅうたんだん)』の現代語訳(言文一致体)を個人的に試みた記事です。

各章ごとの記事になっています。今回は第9章。第8章はこちら

原文は書籍のほか、泉鏡花『龍潭譚』(青空文庫)からも読めます。

 

※この記事では、より読みやすくするために、訳のほか、改行位置なども変えています。 

 

9章 ふるさと

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おじさんは僕に手を貸しながら船からおろきた。またその背を向けたり。
「泣くでねえ泣くでねえ。もうじきに坊ッさまの家じゃ」と慰めてくる。泣いている理由はそうじゃないけど、言っても意味はなくて、ただ泣いていた。しだいに疲れを感じて、手も足も綿のごとくうちかけらるるよう肩に背負われて、顔を垂れて連れていかれる。見覚えのある板塀のあたりに来て、日がやや暮れかけてきた時、老夫《おじ》はわれを抱きおろして溝のふちに立たせ、ほくほく微笑みながら、慇懃に会釈をした。
「おとなにしさっしゃりませ。はい」
と言うと、どこかへ行ってしまった。別れは惜しかったけど、あとを追うための力もなく、僕は見おくった。指す方もあらでありくともなく歩をうつすに、頭はふらふらするし、足は重たくて、行き悩む。前に行くも、後ろに帰るも皆見知越《みしりごし》のものなれど、誰も取りあわむとはせで行ったり来たりする。さるにてもなおものありげに僕の顔を見ながら通り過ぎていくけど、冷かに嘲るがごとく憎さげなるぞ腹立しき。おもしろからぬ町ぞとばかり、足は知らず知らず向き直ると、とぼとぼとまた山のほうに歩き出した。
けたたましい足音がして、わしづかみに僕のに襟をつかむ人がいた。何だと振返れば、わが家の後見《うしろみ》せる奈四郎だった。力のたくましい叔父は凄まじき剣幕で、
「つままれめ、どこをほッつく」と喚きざま、僕を引っ立てていく。また庭に引出して水をあびせられむかと、泣き叫んで振り切ろうとしても、叔父は僕をおさえた手をゆるめることはなく、
「しっかりしろ。やい」
とめくるめくばかり背を叩いて宙につるしながら、走って家に帰っていく。騒ぐ召つかいたちを叱りながら、細引を持ってこさせて、しっかりと僕の両手をゆわえあえず、家の奥の三畳ほどの広さの、暗き一室に僕を引立てて、そのまま柱に縛り付けてしまった。もっと近くに来い、噛みついてやる、と思って歯がみして睨む。眼の色こそ怪しくなりたれ、つり上がった目尻は憑きもののわざよとて、寄りたかりて口々にののしるぞ無念なりける。
家の外のほうが騒がしくなった。どこかにか行きおれる姉さんが帰ってきたらしかった。襖をいくつかぱたぱたと開く音がして、ハヤここに来たまいつ。叔父は室の外にさえぎり迎えて、
「ま、やっと取返したが、縄を解いてはならんぞ。もう眼が血走っていて、すきがあると駈け出すじゃ。魔《エテ》どのがそれしょびくでの」
と戒めたり。いうことよくわが心を得たるよ、しかり、隙《ひま》だにあらむにはいかでかここにとどまるべき。
「あ」とばかりにいらえて姉さんは転げるように部屋に入ると、ひしと僕を抱きしめた。何も言わずにさめざめとぞ泣いている。おん情《なさけ》手にこもりて抱《いだ》かれたるわが胸絞らるるようなりき。
姉さんの膝に横たわるあいだに、医者が来て来僕の脈をはかったりした。叔父は医者と一緒に、どこかに去った。
「ちさ、どうか気をたしかにもっておくれ。もう姉さんはどうしたらいいか。お前、私だよ。姉さんだよ。ね、わかるだろう、私だよ」
と言い、姉さんはじっと僕の顔を見つめる。涙痕したたるばかりなり。
姉さんが安心できるように、僕は無理やり笑顔を作って、ニッコと笑って見せた。
「おお、薄気味が悪いねえ」
とそばにいた叔父の妻が、つぶやいてみぶるいした。
やがてまたみんなが僕を取りまいて、ありしことども責むるがごとくに問いぬ。ちゃんと話して疑いを解こうと思っても、おさなき口の順序正しく語るを得むや、根問い、葉問いするに一々説明させられた上に、そもそも僕はあまりに疲れていた。うつつ心に何をかいいたる。
ようやく縛られなくなったけれど、それでも周りは僕を心の狂いたるものとして扱う。いうこと信ぜられず、すること皆人の疑《うたがい》を増すをいかにせむ。ひしと取籠《とりこ》めて庭にも出《いだ》さで日を過しぬ。血色わるくなりて痩《や》せもしつとて、姉上のきづかいたまい、後見《うしろみ》の叔父夫婦にはいとせめて秘《かく》しつつ、そとゆうぐれを忍びて、おもての景色見せたまいしに、門辺《かどべ》にありたる多くの子が我が姿を見ると、一斉に、「アレがさらわれものの、気狂《きちがい》の、狐つきだよ。ほら、見て見て」と言った。砂利、小砂利をつかんで投げつけてきたのは、いつも仲良くしていた友達だった。 姉上は袖もてぼくをかばいながら顔を赤くして遁《に》げ入りたまいつ。人目なき処にわれを引据えつと見るまに取って伏せて、打ちたまいぬ。
悲しくなって泣き出すと、姉さんはあわただしく背をさすり、
「堪忍しておくれよ、ああ、こんなかわいそうなものを」
といいかけて、
「私あもう気でも違いたいよ」としみじみと掻口説きたまいたり。いつのわれにはかわらじを、何とてさはあやまるや、世にただ一人なつかしき姉さんまで僕の顔を見るたびに、気を確かに、心を落ち着けなさい、と涙ながらいわるるにぞ、さてはいかにしてか、心の狂いしにはあらずやとわれとわが身を危ぶむようそのたびになりまさりて、果《はて》はまことにものくるわしくもなりもてゆくなる。
たとえば怪しき糸の十重二十重《とえはたえ》にわが身をまとう心地しつ。しだいしだいに暗きなかに奥深くおちいりてゆく思《おもい》あり。それをば刈払い、遁出《のがれい》でむとするにその術《すべ》なく、すること、なすこと、人見て必ず、眉を顰《ひそ》め、嘲《あざけ》り、笑い、卑《いやし》め、罵《ののし》り、はた悲《かなし》み憂いなどするにぞ、気あがり、心激し、ただじれにじれて、すべてのもの皆われをはらだたしむ。
口惜しく腹立たしきまま身の周囲《まわり》はことごとく敵《かたき》ぞと思わるる。町も、家も、樹も、鳥籠《とりかご》も、はたそれ何等のものぞ、姉さんだって本物の姉さんか。この間は僕を見て、僕が弟だってわからなかった。ちり一つとしてわが眼に入《い》るは、すべてものの化《け》したるにて、恐しきあやしき神のわれを悩まさむとて現じたるものならむ。さればぞ姉がわが快復を祈る言《ことば》もわれに心を狂わすよう、わざとさはいうならむと、一たびおもいては堪うべからず、力あらば恣《ほしいまま》にともかくもせばやせよかし、近づかば喰いさきくれむ、蹴飛ばしやらむ、掻《かき》むしらむ、透《すき》あらばとびいでて、九ツ谺《こだま》とおしえたる、とうときうつくしきかのひとの許《もと》に遁げ去らむと、胸の湧《わ》きたつほどこそあれ、ふたたび暗室にいましめられぬ。

 

最終章である第10章はこちら