國學院大學博物館「神に捧げた刀」展レポ④〜刀剣展示メモ
刀剣展示
展示見ながら書いたメモと一緒に、タペストリーの写真もそえておきます。
私は刀剣乱舞ファン(通称「審神者(さにわ)」)なので、そっち視点でのコメントもちょっとだけあります。
・素環頭内反太刀 韴霊(ふつのみたま)大刀 写
ちなみに今回展示されているのは写し。
つまり元々の韴霊大刀によく似せて作った、オマージュ刀剣です。
奈良県の石上神社の禁足地から見つかった本歌を、菅原包則氏が写したもの。1912年、明治時代の作。
反りが日本刀と逆。反りの内側に刃がついてる。
日本刀は、反ってる外側の方に刃がついています。
韴霊大刀は何でこうだったんだろう?
大きさはこれくらい。
脇差…いや打刀くらいの大きさでしょうか。
刃長調べてみたら60cm以上なので、打刀くらいの大きさですね。
切っ先の刃文が面白い。霧のようです。
・毛抜形太刀
ポスターに使われている、錆び錆びの刀が「毛抜形太刀」。
これも展示されてました。
平安時代くらいの刀で、遺跡から出土。
鯖で真っ黒、あちこち欠けて、極め付けに真ん中で刀身が真っ二つになってしまっています。
ちょっと痛々しさがありますが、遺跡から出土した刀で、どこかでずっと保存されていたわけではないので仕方ない。
きっと作られた当時は、荘厳で美しい太刀だったんでしょうね。
・薄緑丸
別名「膝丸」「蜘蛛切」「吠丸」。
罪人で試し斬りしたら膝まで斬れたとか、土蜘蛛を斬ったとか、蛇みたいな声で吠えたとか、逸話がたくさんあり、そのたびに名前の変わった刀です。
源氏に伝わる重宝で、源義経が持っていたことで有名です。
細身で反りも深くて、「おお、古刀だー」という印象でした。
膝丸は、刀剣乱舞ファン的には京都大覚寺の「薄緑」が有名ですが、箱根神社の「薄緑丸」も、義経が使ったとされる膝丸。
「義経の膝丸」とされる太刀は全国にあって、そのうち有名なのが、大覚寺の「薄緑」と箱根神社の「薄緑丸」なのです。
ちなみに「義経の膝丸」は平安時代に作られた太刀で、大覚寺と箱根神社の「膝丸」はどちらも鎌倉時代作なので、ぶっちゃけどっちも以下略。
でも、伝説ってそんなものです。人の想いと願いが物語を作るのです。正否だけが全てではないのです。
・太刀 銘 相州住康國作
戦国時代の武将、小田原城主・北条氏綱が打たせて、鶴岡八幡宮に奉納した太刀。
刀剣乱舞ファン的には、北条氏綱は、「山姥切長義」を長尾顕長にあげた北条氏政のおじいちゃん、と言えば親しみが増す?
拵(刀身をおさめる鞘や、持ち手になる柄など、刀そのものにつける装備のこと)と一緒に展示されてました。
写真だとわかりづらいんですけど、刃文が皆焼(ひたつら)でした。ダイナミック。
刀の刃文って、まっすぐだったりぐねぐねしてたり、いろいろ種類があるのですが、その中でも炎のように激しくぐねぐねしてて、刃側のフチだけでなく刀身全体に刃文が入っているのを「皆焼(ひたつら)」と言います。
へし切長谷部ほどのメラメラ具合ではなかったですが、よく燃えてました。
※「へし切長谷部」は、大胆な皆焼(ひたつら)の刃文で有名な日本刀です。福岡市博物館で冬の間だけ見られます。
刃文が二重に見えたのですが、二重刃だったんだろうか。
・太刀 銘 景安
腰反り高く(反りの中心がはばきのすぐそばにある、という意味。はばきとは、刀の刃と持ち手部分の間にはめる金具。人間でいうとパンツ)、踏ん張りのきいた形(切っ先の幅が狭くて美しい形のこと)で、あー平安時代だなーという感じでした。
・太刀 妙純傳持 ソハヤノツルキ ウツスナリ
「ソハヤノツルキ」は、平安時代の武官・坂上田村麻呂が持っていたとされる剣。
「ソハヤノツルキ ウツスナリ」は、そのソハヤノツルキから名前だけとって鎌倉時代に作られた、三池典田光代作の刀。
で、今回展示されていた「ソハヤノツルキ ウツスナリ」は、この徳川家康の「ソハヤノツルキ ウツスナリ」の写し(オマージュ)。
つまり、写しの写し。人間の業をちょっと感じる。
身幅広めの印象。刃文は直刃(すぐは。まっすぐの刃文のこと)。
樋(ひ。日本刀の刀身に入れられる細長い溝のこと)が太め。
全体的にゴツい印象でした。
私は粟田口派のきめ細かい肌が好きなので、今回「めっちゃ好み!」って刀剣はなかったですが、刀の歴史に思いをはせるには十分すぎるほどの展示でした。