理想と自由と責任~「サイボウズ式第2編集部と愉快なモンスターVol.01 TABIPPO編」に参加して
先日、「サイボウズ式第2編集部」さんと「TABIPPO」さんのイベント、「サイボウズ式第2編集部と愉快なモンスターVol.01 TABIPPO編」に参加してきました。
「サイボウズ式第2編集部と愉快なモンスター」は、面白い経営方法や理念、制度などを採用している「カイシャ(会社)」の謎に、サイボウズ式さんが迫るイベント。
そして今回の「カイシャ」が、旅好きをターゲットに、旅行関係のイベントやメディア運営、マーケティングなどを手がけている「TABIPPO」さんでした。
「働き方改革」が盛んに取り上げられる現代。
私もここ1年間で、「企業で働くこと」について考える機会が何度かありました。
だから初めは、「どんなふうに会社を経営しているのかな?」というあたりをメインに、話を聴くつもりでした。
しかし、今回拝聴したお話の内容が、思いのほか、現在の私の悩みというか、「私が理想を叶えるために足りないもの」に言及していて。
聞いているうちに、
「これは自分の話だ」「私に足りないものだ、参考にするべきだ」
と強く感じたので、どのように参考になったのか、せっかくなので自分のために書いておきます。
理想を叶える上で、私に著しく足りていないもの
20代にもなって今さら感が否めないのですが、私には、目標達成能力が、壊滅的に足りていません。
理想、目標、「こうなりたいな」という願望はあっても、そこまで。
それを叶えるために、何をすればいいのか。
目標達成にかけられる時間はこれくらいだから、どんな方法を、それぞれどれくらいの時間で、どれくらいの数、やればいいのか。
そういうのを考えて実行する能力がゼロ。
思えば、学校の勉強も資格の勉強も、スケジュールを立ててコツコツ成し遂げる、という経験が一度もありません。
テスト勉強さえ、普段の授業と、あとは直前でノートや暗記用の教材を読むくらい。
それで平均点以上、得意教科なら9割はいつも取れていました。
だから、スケジュールを決めて頑張って勉強する必要性を、取り立てて見出していませんでした。
まあ、それならこれでいつも赤点だったら、コツコツ勉強する子になっていたかと言われると、まず変わらなかったと思います。
なので、「そこそこの点とれてたから勉強しなかった」は、ただの言い訳です。
学生の頃は、それでまだ良かったかもしれないけど、大人になってからが一大事。
なにせまともにスケジュールをたてられないのですから、仕事のスケジュールだってたてられないのです。
夢を叶えるなんて、もってのほか。論外。
しかしここ1ヶ月くらいの間で、自分の夢、理想、目標、そういうものを見つめ直す機会が来ました。
今決めて動かないと、何もできないし、何にもなれない。
そういう時期に直面しているのです。
これまでのツケがまわってきたとも言えるし、最後のチャンスとも言えます。
しかし、周りから叱咤激励をいただいているものの、今ひとつ、上手くできない。
今ひとつというか、だいぶ、全然できない。
何が足りていないのだろうか。
いや、目標達成能力の欠如は言うまでもないのだけど。
もっと具体的に、私には何が足りてないのか。
そんなときに参加できたのが、今回の「サイボウズ式第2編集部と愉快なモンスター」だったのです。
「人は理想に向かって行動する」
「ビジョンが一番重要」「人は理想に向かって行動する」とイベントで語っておられた、清水直哉さん(「TABIPPO」代表取締役。「しみなおさん」と呼ばれていました)。
「何かをしよう」「何かを始めよう」と思う時、誰もが、大なり小なり、その人にとってのビジョンを胸にしています。
夢を叶える、というほど大きなものでなくても、たとえば「今日の夕飯はカツ丼が食べたい」レベルのビジョンでもです。
「夕飯にカツ丼を食べる」には、まずカツ丼を食べる方法を決めないといけません。
外食か、コンビニやお弁当屋さんで買って持ち帰るか、自分で作るか。
今日は、お弁当屋さんで買うことにした、とします。
なら次は、どこのお店で買うか。何円のカツ丼がいいのか。何時に家を出るか。他に何か買うのか。などなど、さらに考える必要が出てきます。
これ単に、先日の私を例にしたのですが、すっごく簡単に言えば、こういうことですよね。
会社のビジョンと比べて、スケールダウン化が著しいですが。
ビジョンが決まれば、理想も決まり、さらに達成方法なども、決まっていきます。
「ビジョンのための『理想』を決めるには、『ロジック』と『想い』もいる」と清水さんはおっしゃっていました。
どうして、その組織・個人が理想なのか。
どんな組織・個人になりたいのか。
〇〇を叶えるためには、どんな△△になりたいのか。
「〇〇を叶えたい」はともかく、「どんな△△になりたい」は、そういえば考えてなかった。
もうそこからあんまり考えてなかった。
大いなる自由には、大いなる責任が伴う
今回のイベントで、TABIPPOさんの社風を示すときにたびたび出てきた言葉が、「自由」。
勤怠管理はない。
好きな時間に来て、好きなだけ仕事をして帰る。
リモートワークを取り入れているので、それこそ会社に来ないで、家で仕事してもOK。
社員とインターン生の差もない。
チャンスは誰にでも与えられるし、忌憚なく意見を戦わせる。とても平等。
仕事でミスしたときだって、怒られない。
「次はどうすればいいか」だけ訊かれておしまい。
上司部下の区別もないし、役職もない。
本当は「代表取締役」の役割もなくしたいそう。
清水さんは、
「『自由』という状態は、誰もが目指す状態。
でも、自由を得るのは、実はかなり大変。
いつ来てもいい、何してもいい。コントロールするのは自分。
TABIPPOに新しく来た人は、『自由ってこんなに大変なんだ…』と感じます」
と語っていました。
「ビジョンや理想を達成するには、自律と責任と信頼が必要」とも。
私は、「夕飯にカツ丼を食べるにはどうすればいいのか」レベルの目標、ビジョンは達成できる。
なのにどうして、夢のための目標をたてて、達成することができないのか。
私には、「責任」が欠けていたのだろう。
話を聞いて、そしてイベント後の懇親会で、思いました。
TABIPPOさんは、社員もインターン生も垣根なく、意見を戦わせるそうです。
感情のままに言い争うことはありません。
でもロジカルに遠慮なく言うから、「はたから見てると、ハラハラすることもある」と懇親会で話してくださった、社員の方がおっしゃっていました。
最近やっとわかってきたのですが、きちんと発言すること、意見を述べることは、その人に「責任」という意識がなければ、できないこと。
口をつぐんで適当にやりすごしているほうが、断然楽です。
私はずっとそうでした。いや今もそうです。
意見を述べるには、その議題について、まず自分でしっかり考える必要がある。
そして、自分の意見が反対意見や問題提起であれば、述べたときに、他の人から反感を買う可能性もあります。
そんなリスクを負うよりも、誰かが発言や提案してくれるのを待っていて、相手の意見に流されるほうが、楽。
だけど結局それって、安全なところで、誰かが何かしてくれるのを、受け身で待っているだけ。
たとえば極端な話、「具体的な意見をあげないと、今ここで、手の爪を全部はがされる」なんてルールがあれば。
痛い目にあいたくないから、必死で意見を考えて述べるでしょう。
でもそうじゃないから、「自分には関係ない」と思っているのです。
私には関係ない。言っても言わなくてもいい。なら、言わなくていっか。
当事者意識がない。つまり、責任意識がない。
自分から動くのは、面倒で大変なことだから、「もっといい〇〇にしてやろう」という責任を感じていない。
だからちゃんと考えないし、「今のままでもまあいっか、楽だし」と思っているのです。
私には、「私の人生をもっといいものにしてやろう」という、当事者意識と責任がないのです。
自分の人生なのに。
TABIPPOさんには、何かを決めるときの承認フローがないそうです。
物事を決める人がいなくても意思決定ができる大きな理由に、理想やビジョンがしっかり定まっていて、従業員やボランティア全員に浸透している、という点があることは、言うまでもありません。
しかし、それだけではなくて。
社員とインターン生、400人の学生ボランティア、これだけ多くの人々が、同じビジョンを掲げて理想のために動けるのは、「自分はTABIPPOの当事者である」という責任を持っているからこそ、できることなのでしょう。
イベントで、「自由の中で自立心は育つ」という発言がありました。
「『自由』こそが本当に難しい。
『自由』は好き勝手やることじゃない。
自分を律して、自分の全てに責任を持つことで、初めて『自由』は可能となる」と。
人生はまさしく、自由の場所です。
もちろん、生まれだとか、住んでいる場所だとか、家族だとか、ままならないことはいくつでもあります。
でも、基本的には自由です。
だからこそ、人生には責任が問われます。
あなたは何をするか。 何になるか。何を選ぶのか。
何をしても、何になっても、何を選んでも自由。
何もしなくても、何にもならなくても、何も選ばなくても自由です。
そのかわり、楽な方に流されて何もせず、選ばなかったことで何にもなれなくても、それは自由に行動した結果。
無為に、無意味に、無価値に、無責任に人生を過ごしたとしても、それもまた人生なのです。
人に決められて、周りに流されて動くのは、自分で考えなくていいし、人が決めたことだから、自分にも責任はあまりないように思えます。
実質、それは自由を選んだ結果というより、怠惰であり、隷属に近いのでしょう。
何に従ったかは人によりますが。
そして、直接口を出す人がいなかったとしても。
私が当事者意識、責任を持つには
自分の人生に、当事者意識と責任を持たない私は、怠惰であり、楽な方に隷属しています。
じゃあ、どうすればいいのかって話ですが、「意識持とう!」と言うのは簡単でも、実際問題どうにかするのは、結構難しい。
今日の夕飯をカツ丼からカレーにしよう、レベルの話ではありません。
文字通り、生き方を変えることになります。
目標のたて方と、スケジュールの組み方は、少しわかってきました。
自分の人生への責任の持ち方を、学んでいると言えます。たぶん。
でも、肝心の意識の方を、どう変えるのか。
責任は持とうと思って持つものでは、本来ないでしょう。
心を入れ替えてなんて言っても、実際には、心は入れ替わるものではなし。
結局、自覚して、自分で変わるしかないのです。
今回、自分が自分の人生に「責任と当事者意識」がないと自覚できただけでも、かなり大きな収穫でした。
「おまえには当事者意識がない」と指摘されても、自覚がなければ、なかなか変われないのです。
では具体的に、どうすれば私は私の人生に、当事者意識と責任を持てるのか。
既に当事者意識と責任を持っている方には、当たり前のことではあると思うのですが、自分のために3つの方法をアップしておきます。
①「夢を叶えられる、理想の自分」になるための方法を明らかにする
私が夢をかかげても、たどりつけない原因の1つが、「夢を叶えた自分と、今の自分が結びつかない」。
自分のかかげた夢を叶えている人物は、自分ではない。
他の、もっと優秀で、頭の回転が早くて、知識も経験も豊富で、人付き合いもうまくて、エトセトラ。
とにかく、自分ではない誰か。
夢を考えるのと同時に、「自分では無理だ」と諦めてしまっているようなのです。おそらく。
それは、自分の抱える劣等感のせいもあるし、諦めたほうが楽だから、という理由もあると思います。
でも、今の自分と夢を叶えた理想の自分の乖離が原因なら、それを埋めればいいのです。
じゃあ、どう埋めるか。
「サイボウズ式第2編集部と愉快なモンスター」後の懇親会で、登壇者の1人である櫻井啓介さんとお話ができたのですが、ここにヒント(というかほぼ答え)がありました。
櫻井さんにイベントの感想を話す流れで、私が今抱える、夢の実現に関する悩みに、話題が移りました。
「今コーチングの勉強をしているから、よければ聞きますよ」とありがたいお言葉をいただき、ひととおり悩みを話して、櫻井さんに提案されたのが、以下の方法です。
「まず、夢を叶えている理想の自分は、毎朝起きた時と、夜寝る前、何をしているか考えてみてください。
理想の自分が毎朝毎晩していることは、今の自分がしていることと、違いますか?
違うなら、まず朝晩、理想の自分がしていることと、同じことをしてみてください。
それだけで、あなたは理想の自分に、一歩近づいたことになる。
夢やなりたい自分を考えるときに、よく出てくるのが『自分では無理だ』という、劣等感や諦めです。
夢を実現した自分と今の自分が、地続きに思えなくて、諦めてしまうんです。
だから、今の自分と理想の自分が結びつくように、『理想の自分は○○なとき、どうするか』を考えてみてください。
さっき言ったような、『毎朝毎晩何してる』程度の、簡単なところからでいいから。
そしてそれを1つずつ達成していけば、理想の自分と今の自分の差を、理想と現状の乖離を埋めていける。
夢が、どんどん現実味を帯びていきますよ」
一言一句同じではありませんが、趣旨としては、だいたいこのような内容。
私も「無理だ」と諦めていたクチなので、結構目から鱗でした。
理想の自分は、朝晩、何をしているか。
いくら「理想」といっても、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズじゃなくて、あくまでも「自分」なのだから、どうせ理想の自分も、そんなに並外れたことはしてないのです。
たとえば、歩く時、いつも背筋をピンとのばしてるとか。
たとえば、寝る前、いつもベッドのサイドチェストにのせたライトで、30分だけ読書してるとか。
それこそ今の自分でも、すぐに実行できそうなくらい。
理想の自分は、思っていたよりも案外近い存在なのかも…?と思えました。
「理想にだって手が届くかも」。
そう思えること自体が自信につながるのは、言うまでもありません。
自信大事。だいたいのことは、自信があればできます。
また、理想の自分を明確に思い描くことも、自己実現のために、重要な要素。
目的地の方向がわからなければ、出発もまともにできないのですから。
今は、迷った時や怠けそうな時に、「理想の私なら…」と考えるところから始めています。
簡単なようでいて、結構効果的。感謝してもしきれません。
ちょっと違うかもしれませんが、あれに近いのかも。
SNSでたまに見かける、小さい子がわがまま言ったときに「そんなんじゃプリキュアになれないよ!」と親にたしなめられて、とたんにわがままをやめてキリッとしだすエピソード。
可愛くて強くてかっこいい、プリキュアのわたしなら…。
夢を叶えて働いている、理想の私なら…。
みたいな。
②すぐに着手→やりとげる
私が夢をかかげても、たどりつけない原因の2つ目は、「先延ばしグセ」。
やらなければならないことでも、先延ばしにして、締切で慌てたときには、既に時間が足りない。
今はちょっと○○だから、あとでもっとコンディションがいいときに、とか言い訳する。
その言い訳も、たまに、本当に自分ではどうしようもない理由だったりする。
でもたいていの場合、単に目をそむけたいだけの、しょうもない言い訳です。
完全に「明日から本気出す」状態。腰がすっごく重い。
要は始めるまでに、時間がかかりすぎるのです。
先延ばしグセというより、「逃げグセ」といったほうが、正確かもしれません。
しかし、実は着手さえできれば、最後までかじりつく力はあります。
意外なことに私、ガッツはあるのです。
ここ半年くらいで、初めて自覚したのですが。
あと、集中力も割とある方。
正確には、一度取り組むと、没頭するクセがあります。
着手さえできれば、最後までやりとげられるのに、それをしないから、いつもできないのです。
ならば、すぐに着手すればいい。いつやるか?今でしょ!
先延ばしにしないで、言い訳しないで、逃げないで、さっさと取り組めばいいのです。
言い訳する余地を与えなければ、私の場合取り組むでしょう。
とはいえ、私は自分を甘やかすのが上手なので、単に決意するだけでは、やはり難しい。
そこで必要になってくるのが、次の方法です。
③夢を叶えるためのスケジュールをたてる
最近ようやく、目標&スケジュールのたて方を学んだ私。
目標を達成できないのは、目標のたて方そのものがわからなかったのもありますが、目標がわかりにくい(※具体性という意味で)のもありました。
夢は何で、目標達成にかける年月はこれくらい。
夢を叶えるためには、何を目的に、どんな方法を、どれくらいの時間で、いくつやる。
やるべきことをリストにして、その日ごとにカレンダーに書く。
できなかったこと、失敗したことは記録に残して、振り返れるようにする。
今はようやく、こういうふうに目標をたてるのだと知りました。
私は結構、ものを長期的、俯瞰的に見るのが苦手で、特に頭の中だけだと、こういうスケジュールだてが難しいです。
だから紙に書いて、目に見えるようにしなければなりません。
いわゆる「見える化」「可視化」。
可視化してないときの「やらなきゃいけないこと」は、私にとっては煙のようにつかみにくくてわかりにくい。
だから、目をそむけるのだって簡単。
そしてそむけたら、締切ギリギリまで忘れます。
でも紙に書いて、目でわかるようにした「やらなきゃいけないこと」は、はっきりそこにあって、わかりやすい。
目をそむけても、存在感ばっちりです。
その日やらなかったら、次の日やまた次の日にやらないと、やらなきゃいけないことは消えません。
忘れても、紙に書かれているから、すぐに思い出します。
逃げられない、言い訳したってすぐに回り込んでくる状況す。
言い訳できないように追い込むのです。スケジュールという具体性で。
これは今月半ばからやっていますが、きっちりスケジュールをたてて、見えるようにするだけで、かなり違う。
目をそらしてもスケジュールはそこにある。
自分の首がしまっていくのが、目に見えてわかります。
言い訳して先延ばしにすれば、タスクがたまる一方。
懇親会では、TABIPPOの方々や、イベントに参加した方々のお話を、たくさん聴けました。
理想の自分を叶えようと動いている方は、こんなにも生き生きとしている。
私もそうなれたら。いや、そうなりたい。
聴けた話をもとに、改めて歩いてみます。