浦嶋子よりも神隠し
今日のお題は「海派? 山派?」。
海も山も馴染みが薄く、インドア派なので、どちらの方がよく行く、ということはありません。
行けばそれなりに楽しいけど、自分からわざわざ計画立ててはめったに行かない。
そもそも慣れてないので、なんとなく怖いんですよね。山も海も。
それでも「海が好きか、山が好きか」を選ぶなら、私は山が好きです。
なんで山の方が好きなのかというと、私は山に関する不思議な話が好きだから。
海よりも、山の不思議な話が好きなのです。
神隠しとか、天狗とか、山姥とか、山の神とか、マヨイガとか、雪女とか、見るなの座敷とか。
特に神隠しが昔から好き。
だから、遠野物語とか大好きです。
泉鏡花も好きです。
海の不思議な話は、なんだか向こうから迫ってくる感じがして、恐ろしい。
津波のイメージもおそらくあるんだと思います。
海水浴での怪談も、海で死んだ人がどうとか、そういう話ばかりで、身近すぎてなんかこう、怖いだけでロマンがないというか。
人の生き死ににロマンを求めるなんて、バチあたりにも程があるのですが。
反対に、山の不思議な話はロマンがある(※個人の意見です)
隣の異界というか、地続きの異界、というイメージが強いです。
歩いていける先の、境界をこえたらすぐそこにある、不思議なものも歩いてる異界。
山の方は「そこにある」イメージですが、海の方は「やってくる」イメージが強くて怖い。
海も、浦嶋子みたいにこちらから行ったり、磯女みたいにそこにいたりするものもありますが、私の中では「やってくる」ものなんですよね。
やっぱり津波のイメージなのだろうか。
あと、山そのものに馴染みはないけど、木々のある景色には多少馴染みがあるから、海より山の方が好き、というのもあるのかも。
私は生まれも育ちも東京ですが、23区外に住んでいて、雑木林が比較的身近でした。
山とはとうてい呼べず、森でもないけど、「山はもっと木がいっぱいあるんだろうな」程度に思いをはせることはあったので、僅差で山の方が馴染みがあると言えなくもない。
東京にも山はいくつかありますが、私にとっての「東京の山」は高尾山です。
名前はよく聞くしたまに見かけるけど、他県にあって登ったことのない富士山よりも、高尾山のほうが親しみを感じる。
中央線で名前も聞きますしね。高尾行き。
高尾山は、子どもの頃に一度だけ登ったことがあります。
なぜか、紅葉が綺麗だった記憶があるのですが、夏休みの最後あたりだったので、赤くなった紅葉が見れたはずがないんですよね。謎。
まあでも子どもの頃の記憶なんて、そんなものですよね。
ちなみに子どもの頃は知らなかったのですが、高尾山は天狗伝説の残る山です。
元々高尾山は、山岳修験の山。
山伏たちの修行の場だったのです。
虫は特別好きなわけではないし、ゲジゲジとか見かけると悲鳴をあげるし、田舎生活には別段憧れは持ってない。
でも山の不思議な話には憧れがあるので、そういう意味では、山のあたりに生まれたかったな、とたまに思います。
きっと不便なこともたくさんあるんでしょうけど。
山が身近な生活って、どんな感じなんでしょう。想像つかない。
ぼんやりとした憧れなので、移住するほどではありませんが、たまに旅行で山を歩くとワクワクします。
あんまり怖いのとか、命に関わるようなのは嫌だけど、不思議だなーで済む程度なら、一度くらいは山の不思議なものにあってみたいです。
狐につままれるとかじゃなくて、それこそ天狗みたいな…。
でもそういうのを期待する人の前には、逆に現れないのかも?
あるいは現れても、素質がないと見えないのかも。
ともあれ私はこれからも、山(の不思議な話)派です。